大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)1475号 判決

被告人 佐久間正俊

〔抄 録〕

所論に対する判断を為すに先立ち記録に基づき職権をもつて原審における本件暴行被告事件の審理経過を検討するに、本件公訴事実は起訴状の記載によれば、被告人は昭和四十一年八月十六日午前十時三十八分頃、東京都中央区入舟二丁目一番地自宅煙草小売場店内において麻生顕(当六十六年)に対し両手をもつて同人の胸ぐらを掴み小突く等の暴行を加えたものである、というにあるところ、被告人及び弁護人は原審の第一回公判期日における右被告事件に対する陳述において、被告人が起訴状記載の日時場所において起訴状記載のような行為をしたことはあるが、それは正当防衛として為したものである旨陳述し(記録一二丁)、弁護人は最終公判期日において、被告人は、麻生顕の暴言にたまり兼ね、再三同人に対し店内より退去すべき旨要求したのに拘らず、同人が故なく同所より退去しないので、同人を退去させるため起訴状記載の行為に及んだものであつて、その行為は正当防衛に該当する旨強調したこと(記録三八丁以下)、原判決が、「被告人は、両手をもつて麻生顕の胸ぐらを掴み小突く等の暴行を加えた」旨の公訴事実に対し、更に「被告人は、両手をもつて麻生顕の胸ぐらを掴んで小突き、左側腰部の辺をも足蹴りにする等の暴行を加えた」旨の事実を認定しているが、「被告人が麻生顕の左側腰部の辺を足蹴りにした」旨の事実は起訴状に訴因として明示されていないのに拘らず、原判決が訴因変更の手続を履践しないままこれを犯罪事実として認定したこと、以上の各事実が記録上明らかである。

ところで被告人の麻生顕に対する暴行の内容をなす具体的事実として記訴状記載に係る「両手をもつて胸ぐらを掴み小突いた」旨の事実と、原判決認定に係る「両手をもつて胸ぐらを掴んで小突き更に左側腰部の辺を足蹴りにした」旨の事実とは、いずれも被告人が麻生顕に対し同一日時、場所において為したものと認められる限りにおいては斉しく同一機会における同一加害者の同一被害者に対する暴行として、その二者の間に公訴事実の同一性が認められるばかりでなく、起訴状は、被告人の麻生顕に対する暴行の内容をなす事実として、「両手をもつて胸ぐらを掴み小突く等の暴行を加えた」旨の事実を記載しているうえ原審における審理の経過に徴すると被告人が両手をもつて麻生顕の胸ぐらを掴んで小突いた事実のほか、更に同人の左側腰部の辺を足蹴りにした事実の存在を窺わせる如き証拠も現われているのであるから、原判決が起訴状記載の「両手をもつて胸ぐらを掴み小突いた」旨の事実のほか「更に左側腰部の辺を足蹴りにした」旨の事実を認定したからといつて、必ずしも審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるということはできないのみならず、それだけでは、一般的にいつて、訴因変更の手続を経ないで起訴状記載の訴因と異なる犯罪事実を認定した違法があると論断することができない。

しかし具体的に本件につき考察すると、起訴状が被告人の麻生顕に対する暴行の内容をなす事実として摘示するところは、その「等」を別にしては、単に「両手をもつて胸ぐらを掴み小突いた」旨の事実を出でず、原審公判手続中被告人及び弁護人が、起訴状記載の「被告人が両手をもつて麻生顕の胸ぐらを掴み小突いた」旨の事実を限度として、この事実を認めながらもこれを正当防衛行為であると終始主張し続けていたことは前記のとおりであるから、若し被告人及び弁護人において裁判所が叙上「等」の内容として右事実以外に「更に左側腰部の辺を足蹴りにした」旨の事実を被告人の犯罪事実として認定する可能性のあることを予測したならば、この事実に対しても更に別途の防禦手段を講じたであらうことは想像に難くないのであるが、記録によればこの後者の事実の存在を窺わせる如き証拠、(原審証人麻生顕の供述、記録二二丁、二五丁裏、二八丁、五一丁裏)もあれば、他方右事実の存在を否定する趣旨の証拠(原審証人佐久間みつの供述、記録五七丁)もあるのであるから、被告人及び弁護人が、審理の過程において、裁判所が右事実の認定に到達すべき可能性のあることの予測に基づき、この点につき特に防禦手段を講ずることを期待できなかつたものということもできる。しかも原審証人佐久間みつの供述並びに被告人の司法警察員及び検察事務官に対する各供述調書によれば、被告人が両手をもつて麻生顕の胸ぐらを掴んで小突いたのは、決して、いきなりそうしたのではなく、麻生が被告人の管理する借地の賃料を支払うため被告人方に来訪した際、両人の間に原判示の如く地代値上げの件で論争のあつた揚句、円満な話し合いがつかなくなつた後においても麻生が煙草小売業を営む被告人方の店頭で大声を挙げて騒ぎ被告人方の住居の平穏と静謐とを害したため被告人から再三退去を求められたにも拘らずこれに応じ穏便に退去する気配がなかつたので、同人を退去させるべく已むを得ずしてなしたものであることが窺われ、斯様な事情の下においては、被告人の麻生顕に対する暴行が右の事実に止まる限り、それは正当防衛として違法性を阻却されるものと解する余地も存し得ないではない。

然らば、原判決が被告人の麻生顕に対する暴行の内容をなす事実として、起訴状記載の「両手をもつて同人の胸ぐらを掴み小突いた旨の事実以外に「更に同人の左側腰部の辺を足蹴りにした」旨の事実をもこれに加えて有罪の認定をするためには、この後者の事実が起訴状に訴因として明示されていないものである以上、被告人のこれに対する防禦手段を尽させるうえからもすべからく求釈明権を行使して訴因変更の手続を履践すべきであるに拘らず事茲に出でず卒然として右事実をも被告人の麻生顕に対する暴行の内容をなす事実として起訴状記載事実に附加して認定したことは訴訟手続上の法令違背であり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならないからこの点において原判決はその余の所論に対する判断を俟つまでもなく破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百七十九条、第三百九十七条第一項により原判決を破棄し、同法第四百条本文に則り本件を原裁判所に差し戻すこととして主文のとおり判決する。

(栗田 沼尻 近藤浩)

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